ダイヤモンドがヨーロッパに登場したのは1世紀頃でありましたが、これは数百年もの間、最も裕福で権力のある貴族階級だけのものでした。
しかし、ルネサンス後期にヨーロッパとインドの間に交易路が開かれると、権力と富は貴族から豪商にまで行き渡りました。
1600年代後期には、既にダイヤモンドはヨーロッパの裕福な貴族や権力のある地位を承認する象徴となっていました。
カッティング技術が向上し、ダイヤモンド・ジュエリーの一般的な形の大半(ダイヤモンドの輝く指輪、ペンダント、ブローチ、イヤリング、バックル、ボタン、および帽子飾り)は17世紀末までに発達したものです。
18世紀にはブラジルのダイヤモンドが市場にあふれ、カッティングデザインが進歩したため、輝きやファイアーが引き出され、ダイヤモンドを宝石の中で第一番目とさせました。
フランスのマリーアントワネットやロシアのエカトリーナ女帝をまねて、ヨーロッパの富者は惜し気なくジュエリーで人目をひくように飾りたてました。
1789年のフランス革命でヨーロッパ貴族の大半は宝石を隠したが、ナポレオンがフランス皇帝として即位した時にはダイヤモンドが再び流行していました。
ナポレオンの妻ジョセフィーヌ皇后はダイヤモンドに対する情熱にかけては旧体制化のどの王妃にもひけをとりませんでした。
1800年代には産業の豊かなビクトリア朝イギリスが新たに大市場となり、ジュエリーのスタイルやデザインにより多くの種類が求められました。
この時期には以前ほどジュエリーの形態に変化はありませんが、デザイナーはギリシャ、ローマ、ヨーロッパの古代文化からインスピレーションを受け、次から次へと素晴らしいリバイバルの波を生み出しました。
19世紀末にはアールヌーボーとして知られる芸術の幻想的運動がわき起こりました。
世紀の変わり目近くにジョセフビューリッツアー夫人、ジョンヤコブアスター夫人、ダイヤモンドジムブラディ等の社交家が新たに手にした富と地位の象徴としてダイヤモンドを見せびらかすようになると、アメリカはダイヤモンドに熱中しました。
1930年代になると映画スターがダイヤモンドを身に付けるようになり、世界中がこれをうらやみ、その傾向は現在まで続いています。
エリザベステイラーはリチャードバートンからいくつかの大きなダイヤモンドを送られ、再び大きな石の人気を高めました。
現在の世界的なダイヤモンド・ジュエリー市場には、様々な価格の目のくらむほどの種類のデザインがあります。
毎年デザイナーは男性用、女性用のジュエリーの刺激的な新趣向を発表しています。
最大の市場は米国で、1986年には国内用に原石およびカットした宝石品質ダイヤモンドを800万カラット以上を輸入しています。